背丈や体重、そして知能。人それぞれに高低はあって当然ですが、はたして人はどこまでが個性で、どこからが「病気」とされてしまうのでしょうか?今回はそんなことを深く考えさせる、ダウン症の子どもたちへの偏見が解ける、イタリア発の素晴らしいムービーをご紹介します。このムービーは、3月21日の世界ダウン症の日に合わせて世に出されたものだそうです。
<未来のママへ>
DEAR FUTURE MOM | March 21 - World Down Syndrome Day | #DearFutureMom - YouTube
<ビデオ和訳>
2月9日。我々はとある未来の母親からメールを受け取った。「私は妊婦です。身ごもっている男児がダウン症だと分かりました。我が子がどんな人生を送るかを考えると不安でたまりません。」今日、我々は彼女の不安にお答えします。…「未来のママへ。」「怖がらないで。」「あなたの子はたくさんのことができます。」「抱きしめたり。」「あなたの元へ駆け寄ったり。」「しゃべったり…愛してるって伝えたり。」「学校も行けるし。」「みんなと一緒にね。」「書き方も学べるし。」「手紙を書いたり。」「いつの日か、遠くに離れたら…」「なぜなら、旅行だってできるし。」「父親の手伝いもできる。自転車を直してあげたりね。」「働いて...」「稼げるし。」「そのお金で、あなたを食事に誘ったりもできる。」「家を借りて、自立することも。」「時には難しいこともあるけれど。」「とても難しい。」「ほとんど不可能かも。」「でもそれって、すべての母親が感じることと同じじゃないかな。」「未来のママへ。」「あなたの子は幸せになれる。」「私みたいに。」「そしてあなたも、幸せになれますよ。」「ね、ママ。」「ねぇ、ママ。」ダウン症の人も、幸せに暮らすことはできる。みんなでそれを可能にしよう。世界ダウン症の日 ー 誰もが幸せに暮らす権利がある。
ダウン症の子が幸せに暮らせるかどうか、についての不安をなくすには、実際に幸せに暮らすダウン症の子どもたちの言葉が一番説得力がある、というのはストレートですが誠実な発見だと思いました。幸せかどうかを決めるのは、ダウン症の有無は関係なく、それぞれの心の受け止め方なのだということを教えてくれる、いいムービーです。
また、これにちなんで 2012年の世界ダウン症の日に同じくイタリアで行われた、テレビ局と全面コラボレーションを行ったスケールの大きなソーシャルキャンペーンもご紹介しておきます。
<共生の日>
CoorDown - Integration Day - YouTube
<ビデオ和訳>
“共生の日”
コーダウン・オーガニゼーションは、世界ダウン症の日である3月21日、ダウン症の人々と社会との、特に労働面での共生を求めるキャンペーンを行った。しかも、とても例外的な方法で。
我々は当日、テレビでオンエアされている国内外の大手ブランドのコマーシャルの別バージョンを放映した。それらのブランドの通常のコマーシャルの撮影時に、我々は俳優の代役として、ダウン症の人々が演技するバージョンも撮影しておいたのだ。これは、エリーコーヒーの通常のコマーシャル。…そしてこれが、3月21日にオンエアされたバージョン。…我々は他のコマーシャルでも、同じ試みを繰り広げた。「ヴァニラ・クアー(ビールブランドのことか?)」、「カルタ・シー・クレジットカード」「トヨタ」そして「パンパース」。これらの特別バージョンは当日、344回オンエアされた。同じ試みは印刷媒体でもカルフールや、トヨタの広告で行われ、また、この流れでいくつかの人気テレビ番組にも、いつもの人気タレントや司会者に代わってダウン症の人が登場した。我々のこの試みはあらゆる国内メディアの興味を惹き付けることに成功し、金額にして550万ユーロ分のメディア露出を達成。このキャンペーンは国民のおよそ3分の1に当たる1800万人に到達した。しかし何より大切なことは、この試みから一週間後、ダウン症の人々の雇用に関する企業からの問い合わせが600%の上昇を見せたことである。ダウン症の人:「3月21日に起きたことは、毎日起きるべきことだ。なぜなら、違うことは普通のことなのだから。」
こちらのアイデアは思いつくことはできても「実現する」となると、かなりの力技が必要だったことと思われます。または、そもそもこういう課題に対する各企業の意識がイタリアでは高いのか・・。日本で同じことをやるのはかなり難しそうですが、なにか、先日ご紹介したブラジルの「Bald Cartoon(丸坊主のアニメキャラたち・下記リンク左先参照のこと)」の源流ともいえる企画だと思いました。
あの人気キャラたちが応援!病気の子どもたちを励ますソーシャルキャンペーン - 世界のソーシャルキャンペーン
これらのビデオでもたくさんあふれていましたが、人間の輝く笑顔は素晴らしいものです。せっかく同じ星で暮らしているのだから、ハンディキャップがあろうとなかろうと、幸せでありたい人が理不尽な障壁なしに、適切な努力をすれば報われる社会であってほしいと思います。